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古民家再生の理想のかたち

 鎌倉(いわゆる八幡宮を中心とした旧鎌倉地区)は、大正12年の関東大震災の津波と火災で壊滅的な被害を受けました。よって、現存する建物は古いものでも大正末期から昭和初期に建てられたもの。古都とは言えど、明治以前の建物を今も使っているお宅というのはほとんどないのでは?

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 こちらの古民家は玉縄地区ですが、なんと江戸時代の建物をリノベーションしています(建築設計・>>戸井田工務店)。この建物を支えてきたハリ、そして柱には160年もの歴史が刻まれています。流れる空気も時間も、せわしない「平成」とは別の次元にあるような、重厚な落ち着きを醸していることがおわかりいただけるでしょう。
 このお宅がスゴいのは、ご先祖代々の土地に元々建っていた建物を、「壊すのはしのびない」と御子孫の手で再生されたということ。壊して、新しい家を建てた方がよほど簡単だし、コストも押さえられるのに、あえて「古民家再生」という選択をされたのです。家族の歴史を見守ってきた建物が、また新たな命を吹き込まれて、この先も子供たちの健やかな成長を育んでくれる・・。素直にうらやましいです。

Dinig3 再生された部分は、現在、若奥様であるFさんが>>お料理教室を開いています。空間の素晴らしさプラス、Fさんの技術と細やかな心配りが人気で、お教室は「キャンセル待ち状態」なのだそう。実は「古民家再生」の言い出しっぺは、“お嫁さん”であるFさん。そのセンスと思い切りのよさにはいつも感服します。(>>プレアデス映画祭の時の>>“けんちん汁サービス”も二つ返事で引き受けてくれました!) 今後は「もっと皆さんが鎌倉の野菜や海の幸に親しまれるような何かを仕掛けて行きたい」という思いをお持ちなのだそう。古くから伝わるもの、自然にそこにあるものを大切にしながら新しい魅力をプラスしていく・・。こういう考え方を当たり前にできる方が、うんと鎌倉に増えるといいですよね。

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置石振興会のお祭りに思う

Okiishi01 今日はやけに観光客が多いなと思ったら、>>鶴岡八幡宮の>>例大祭でしたね。数々の祭事がある八幡宮でも最も大きな祭礼で、大行列が本宮から二の鳥居までを練り歩きます。800年の歴史があるという、それはそれは荘厳なお祭りなのですが、観光客もすっかりひけた午後7時、今度は威勢のいい御神輿の声が・・。
 つられて段葛まで出てみると、白い法被姿の老若男女が「置石」の提灯が下がった神輿をかついでいます。ちょっと前まで「置石振興会」と言われていた八幡宮前商店会、つまり段葛の両脇に面した商店街のお祭りです(氏神さまは八幡宮!)。八幡宮前商店会、通称「置石」はいわばこの地区の町内会でもあるので、段葛の清掃や樹木への水やりもこの組織が担っています。

 八幡宮の宮前を守る大切な会ではありますが、近年はテナントで商売する業者が多くなり、昔からこの地に根ざして商いをしているお店は激減してしまっています。必然的にお祭りもこじんまりと、御神輿の担ぎ手もよく見ると横浜や大磯のハッピを着ていたりします。一等地ゆえに若い世代の住民も少なく、大町や浄明寺あたりのお祭りが新住民を巻き込んで、どんどん賑やかになっている感じがするのと比べると、正直寂しく感じられます。沿道のお店も、シャッターを下ろして提灯すら掲げていないところが少なくありません。
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 そんな中、一カ所だけ煌々と電気をつけてにぎわいを演出していらっしゃったのが>>豊島屋本店。社長自ら店前に出て、御神輿の担ぎ手たちに気前よくお菓子やジュースを振るまっていらっしゃいました。ご相伴にあずかったあったかいお汁粉が美味しかった!(浮かんでいたのはハトが2羽。)
Okiishi06_1 「商店会って、そこで商売をしているだけじゃなくってちゃんと街を守る機能を果たしてるんですよ」とおっしゃっていたのは、やはり鎌倉の老舗>>井上蒲鉾の牧田社長。地域で商いをするっていうのは、本来そういうことだよなと、またしても豊島屋さんの心意気に打たれた夜でした。
                          (おまけ→)
 なんと、段葛のまん中にセットされた宴席!
 こんな大胆なことが許されるのは置石振興会だけ!

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小津組カメラマン・厚田雄春の視を継ぐもの

 久々に、アツい現場に遭遇してしまいました。ムービーではありません、スチールの撮影です。それもスタジオの七五三の撮影です。でも、アツい。部屋に満ちる緊張感、集中力、気迫、スピード・・。まさに大人たちの真剣勝負の場。そして、被写体の子どもは楽しそうに笑顔をみせ、確実にその瞬間がネガに焼き付けられる。

Kanno01 ここは、大船駅東口の代ゼミの並び(かつての松竹前)にある>>菅野写真館。笑顔の子どもや家族写真には特に定評があり、鎌倉のみならず関東各地から予約が入るといいます。受付の隣のガラスケースに目をやると、なぜか東大学長>>蓮實重彦氏からの感謝状が。そしてその下のモノクロ写真には低位置にセットされたフィルム用カメラと、見覚えある笑顔・・・。そう、あの小津組の撮影監督、>>厚田雄春(あつた・ゆうはる)その人がいます。

 日本を代表する映像作家、>>小津安二郎監督と長らくコンビを組んだ厚田キャメラマン。「秋刀魚の味」(62)「お早よう」(59)「彼岸花」(58)「早春」(56)「東京物語」(53)をはじめ、戦後のほぼすべての小津作品の撮影を手がけました。額の中の写真は、小津を敬愛する>>ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー作品>>「東京画」(85/独)でインタビューに応じた時のもの。 そして、厚田さんの三女である菅野公子さんと、お孫さんである菅野松太郎さん、太一郎さんご兄弟が経営されているのが、何を隠そう、この菅野写真館なのです。

 で、先ほどの緊張感みなぎるスタジオ撮影。小津作品ファン、厚田視線の一ファンとしては、「道理で」と思ってしまいます。世界中の人をうならせたカメラマンの血脈が、ここにあるのです。ムービーとスチールと、カメラの種類こそ違っても、人を写す、ある瞬間を切り取って行くという行為は同じ。あるいは、現場に対して真摯に挑む姿勢は、菅野ファミリーが厚田氏の仕事ぶりを身近に見聞した中で自然と学ばれたのではないかしら・・・等々。
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 写真の勉強を始めたばかりの松太郎さんに、「作品の中に自分を写し出すように」とアドバイスされたという厚田さん。氏が87歳で亡くなった時、松太郎さんたちご兄弟は20歳。「今だったらもっといろんなことを聞いて、いろんな話ができたのにと思いますよ」と松太郎さんはおっしゃいますが、いえいえ、大切なものを十二分に受け継いでいらっしゃるんではないでしょうか。

Kanno 菅野写真館は、前出の蓮實氏の音頭で東大総合研究博物館が98年に開催した>>“デジタル小津安二郎展〜キャメラマン厚田雄春の視(め)〜”に、小津作品の詳細をたどれる撮影資料や、あのカニ足三脚など、貴重な遺品を多数提供されたとのこと。公子さんによれば、それらは現在、市内某所で眠っているらしい。小津作品の記念コーナーが鎌倉市の施設に常設される日を夢見て。・・なんともまあ、先人たちに申し訳のない話。

※小津監督と厚田キャメラマンの関係について、蓮實氏が読売新聞に寄せた一文は>>こちらでお読みになれます。厚田さんあっての小津作品だったんですよね。

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